郷土研究の資料

入間郡の古蹟勝地等に関する記事を載せたる書籍は其数殆ど揣摩すべからず。 茲に挙ぐる所は地方誌として特に編述せられたるものを主とし、 其他は単に著しきもの若干を示すに止めんとす。 何れも著者が知り得たる限に於て也。

武蔵国全体にも亘るもの

新篇武蔵風土記稿

江戸幕府学問所編 八十冊

郡誌資料として第一等の材料也。 然れども書の成れるは今より八九十年前、文政年間に属すれば(出版は明治に至りて行はれ、其際些少の訂正はありたらんも)現今の郡制乃至町村制と稍異る所あり。 従て初見の人に向て地名の検出は多大の不便を感ぜしむ。 加之寺社等の記事細字にして読み易からず。 更に精細に之を吟味する時は記載の事実にも遺漏あり錯誤あり。 殊に活字の誤謬も亦少からざるが如し。 然れども郡誌資料として大体に於て全局を網羅し、而して其記事比較的正確精密也。

武蔵資料同拾捕

山岡湊明撰 写本十冊

著名なる書なれども記載事項不秩序にして検出に不便なるは止ひを得ざる所也。 殊に其載する所も概して他書に転用せられたるが如し。

武蔵演路

大橋方長撰 写本六巻

稍不秩序なれど参考すべきもの多し。 武蔵国総記の部も見るべく、殊に入間郡の部此書中に於て比較的詳細也。

武蔵野話

鶴礒樵夫撰 刊本上下各三冊宛

入間郡の部最も詳し。 然れども断片也。 蓋し著者は所沢町付近に住したるものゝ如く、断寔に誤あり、地理にも小失あるが如しと雖、其記事全部実地の見聞に基きたりと覚ゆ。

八王子日光街道旧蹟考

八王子千人衆植田孟継撰男資元増補 川越新井政毅考補

〔入間郡高麗郡摘儁〕日光街道の道筋を中心として付近の古蹟を述ぶること比較的詳細、就中武家に関する記事見るべし。

武蔵旧蹟考

(松屋叢書第八)

主として東鑑等の古書より武蔵国の旧蹟に関係ある記事を纂めしものにして、入間郡に関する記事必ずしも多からず。

北武蔵名蹟志

上毛富田永世撰 写本二冊?

引用該博頗る見るべきものあれども、惜哉入間郡の部は唯川越越生に関して簡単なる記事ある外、入間川古歌、井草村(比企郡)に就て一言せるのみ。

武蔵名所考

撰者不明 刊本四冊 文政七年四月刊行

諸書を引用して記事を豊富にせる外、実地十分の調査を行へるものゝ如し。 就中堀兼井迯水に関する調査は極めて周到也。

武蔵野

喜田博士渡辺藤田両学士合述 時事新報掲載

[四十二年四月十日より四十三年七月中旬まで]

太古より南北朝の頃までの武蔵野の沿革を考証し説明すること委曲詳密、頗る有盆なる記事なりとす、蓋し一種の武蔵全国史也。

其他武蔵野地名考、武蔵志稿、武蔵遊草、武蔵野八景等あれど、或は未だ其書を見ず。 或は特に評する程の事もなし。 囚みに武蔵古風土記の逸文と称するものありと雖、入間郡の部は欠けて伝はらず。

川越町に関する資料

三芳野名勝図絵

中島行昌撰 写本三冊 享和元年

川越町の過去を知るべき主要なる資料にして其記事各町内分に従ひ、最初に川越の合戦に関する記事を出せり。 然れども川越城及士屋舖に関する記事は全然之を掲げず。

川越素麺

撰者不明 写本四巻或は五巻

川越町に関する主なる資料の一にして、其記事件別法に交ゆるに町内別を以てし、雑出混交せり、殊に巻帙も必ずしも諸書一定せず、然れども、三芳野名勝図絵以前の書と覚しく。 参考とすべきもの少からず。

多濃武之雁

撰者不明 写本一冊 宝暦三年八月撰

全然件別法に従ひ、川越大意、城築の記、城主の記、古戦記年中行事、各町来暦、神社、古蹟、妖怪、寺院等を掲げ諸家の菩提所を示し、終に仙波並近郊名所を記したり。 蓋し川越町に関して世に余り知られざる資料也。

川越記

(群書類従に出づ)

比較的簡単也。

仙波川越由来其外見聞記

喜多院所蔵 仙波喜多院を中心として大小仙波川越等の社寺其他に就て記す所あり。 平凡にして稍雑載の嫌なきにあらすと雖、余り世に知られざる資料なり。

三芳野天神緑起

熊谷直亮撰 三芳野神社所蔵

三芳野神社の来歴を記し、兼ねて川越城及川越地方の沿革に及ぶ。 其神社の緑起は世間有りふれたる所なりと雖、川越城の沿革等、流石に撰者の学力を偲ばしむ。

川越戦史

柳井明映撰 肥塚泰蔵氏所蔵

川越に関する合戦記を詳述して城主、城内、太田道灌等の記事に及ぶ、撰者は国粹主義の熱心家筆端頗る力あり。

川越年代記

簡単なれど往々にして見るべきもの少からず。

歴史地理上に於ける川越の位置

吉田東伍講演

其他川越有幸記 三芳野砂子等の書ある由なれども未だ一覧するの機会を得ず、 又三芳野起諦は中島行昌の撰なれど、 風土記川越付近乃至入間郡の記事と同一也。

紀行に属するもの

川越松山之記

独笑庵立義撰 写本一冊文化十五年五月

江戸を発し、川越を経て、松山に至り、比企の慈光山に登り、越生町に出でゝ、再び川越に帰り、所沢方面より江戸に向ふ旅行記也。 記事固より繁簡あれど、短時日の旅行としては止むを得ず、小冊の割合に参考とすべき資料あり。

都伎山日記

清水浜臣撰 写本一冊 文化十二年

和文体にて頗る健筆、一読快然たるを覚ゆ。 然れども此書熊谷町より比企郡都伎山に到る紀行にして入間郡に関係する記事は川越町の横田氏の名を挙ぐる外一二に遇ぎず。

屋らずの雨

撰者不明 刊本二冊

江戸を出て入間川、 東明寺、 仙波喜多院三芳野神社行伝寺、 氷川神社等を観て、比企郡三保谷の養竹院に出づ。 旧刻の刊本にして読み難きこと夥し。

土地及郷村に関するもの

小田原衆所領役帳

通常略して小田原役帳と云へり。

元祿年代武蔵国郡郷帳

正保年代武蔵国田圃簿

天保年代武蔵国郷帳

武蔵国所領沿革帳

埼玉県村誌沿革略記

武蔵分管村名簿

武蔵名寄

武蔵村附

武蔵上野郡村帳

明治年代編纂せられたるもの

埼玉県史 編者未詳

埼玉県地誌略 埼玉県出版 明治十年

埼玉県史談 須永和三郎編 明治二十七年

埼玉県郷土地誌 田沼太右衡門編 明治二十八年

入間郡地誌史談 甲種及乙種 入間郡役所第三掛出版 明治二十九年

大日本地名辞書 吉田東伍撰 明治四十年

入間郡各町村郷土誌

各町村毎に編纂し、大体一定の形式を遵奉して作製したるものにして、殆ど町村内の事項を網羅せんとするの概あり。 但町村によりて幾分の長短を生ぜるは免るべがらざるの数ならん。

徳川時代之武州本庄 諸井六部著 明治四十五年

他山の石、以て大に玉を磨くに足る。

帝国地名辞典 太田為三郎編 明治四十五年

各地方毎に一部分の由緒概況を記したるものは此外、甚だ多し。 「川越案内」「川越商工案内」の如きは其主なるものに属す。

尚最近に於て伝聞する所によれば本書と殆ど前後して左記の二書出づべしと云ふ。 同好者を裨益すること少からざるべし。

埼玉県誌

入間郡統計要覧(名称は確実ならず)