入間郡は和名抄に「伊留末」と訓す。 万葉集武蔵国歌に「伊利麻路乃云々」とあるは、入間路の義なるべく、「イリ」、「イル」、古、相通用せしものなるに似たり。 入間郡の創立は何れの頃にあるか、明ならずと雖、元正天皇霊亀二年五月辛卯、駿河甲斐相模上総下総常陸下野七国の高麗人千七百九十九人を武蔵に遷し、高麗郡を置きしこと見えたり。 之れ今の高麗村付近一帯の地なりとす。 然れども当時の郡界の如きは殆ど精密なるものにあらず。 其後も屡変動せるものゝ如し。