西大手より南へ走れり。 元本宿の中に属し、一たび東町と称せしことありしが、やがて江戸町と唱ふるに至れり。 蓋し西大手を出でゝ江戸に赴かんとするもの、必ずや先づ此町を通過せざるべからず。 江戸町の名偶然にあらざる也。 文化の頃人家約六十、問屋ありて諸方人馬の継立をなせり。 或は曰く此街市中第一の繁華なるにより旁以て江戸町と唱へ習はせりと。