鍛冶町

南町の南に接し、 天文弘治の頃小田原属城の時に当て、 鍛冶平井某相模国より此処へ来住し、 天正の頃平井の弟子鴫惣右衛門、鴨工通、加藤甚兵衛などを始め十余人皆此街に居る。 依て鍛冶町と名けたり。