曹洞宗にして川越養寿院に属す。 湖月山小室院と号す。 風土記によれば、「永正年中の起立にして天台宗なりしが、廃滅後僧学山及地頭水野多宮再建して曹洞とせり。 水野多宮天正元年八月十五日卒す。 案ずるに水野家譜に水野多宮守重は織部忠守の次男也。 法名宗三、父忠守の法名芳心。 入国後玉縄の城を守れりと記せり。 法心芳心音近ければ当寺は忠守の菩提のために中興せしなるべけれど、水野は三河譜代の士なれば入国前当寺を中興するの理なし。 思ふに寺伝年代を誤れるならん」。 と。