北田島

北田島は村の西南部に当り、其開発は比較的近世に属するが如し。 風土記には、

「寛永の頃寺井三ヶ村の農民来て開発し、慶安元年松平伊豆守検地せしより一村となりし由伝ふれど、正保の改に村高五百石、松平伊豆守が知行なると見えたれば、一村となりしは信綱が検地せしより前の事也。 又寺井三ヶ村の者開きしと云ふも疑ふべし。 思ふに南田島より開きし地にて、 其より北に当れば、 其頃南田島の称も起りしものならん」と記せり、 戸数五十。 村役場は円満寺に設けらる。 小社多し。 稲荷、神明、厳島、天神等の諸社是也。

円満寺

川越喜多院に属す。 正法山妙観院と号す。 開山は喜多院二十九世周済にして、天海僧正未だ若かりし頃中興せりと云ひ、寺に其書を蔵せりと。 今村役場たり。

円満堂

観音堂