鹿飼

鹿飼は正保の古図によれば「シヽダメ」と称する原野なりしが如く、或は恐らくは寛永の頃までは遊猟ありし処にして、猪、鹿も此処に集め置きしにや、依て中老袋の農民此地を開発し鹿飼を以て村名となし、元禄の古図には鹿飼、シヽダメ共に見ゆれども、其後シヽダメの称消滅して、小字名にも存せず、土人も知らざるに至れり。

此地村の西北部を占め、戸数四十余。

神明神社

宝幢寺

新義真言宗にして安楽山と号す。 境内に弁天の小祠あり。