土地及水流

南畑村地方は往古海底と覚しく、郡史の始まる頃に当ても、或は水沢の地ならざりしか。 今の荒川は決して古来の水道にあらず。 思ふに入間川の如きは村の随所を流れたりしものならん。 難波田村の沿革は或意味に於て堤防並排水の沿革ならずんばあらず。 然も上古は茫たり。 中古は漠たり。 近古に至て稍明なり。

伝へ言ふ。 新河岸川は数多の悪水を合せて、蛇木河岸に至り、潮く大となり其末荒川に合す。 古は水浅くして泥濘甚しく、沿岸には葮葦等繁茂し、水中には萍藻を生じ、雨あれば忽ち流水停滞して出水の害頻々たり。 加之荒川(当時は入間川)も豪雨に従て出水し、村民常に水難に苦しみしかば。 文明三年築堤の事起り、漸次之を延長して、土人始て堵に安ずるを得たりと。 其説く所二三吟味を要すと雖、当時の実状殆ど斯の如かりしならん。

元文の頃に至ては新河岸川の発達著しく、舟楫の便大に開け、沿岸諸所に廻漕店を設くるものあり。 かくて人口増加し、土地開発せられ、交通便利を加へて、村落の発達漸く全し。