小名貝塚と称する処にあり。 低温なる水田地へ突出したる高台にして、雑木繁茂せり。 貝殻は露出せず。 元其一部に稲荷の小祠あり、貝塚稲荷と称せしが、合祀の際之を去る。 明治四十年五月帝国大学より川上文学士、石田理学士、野中委員外学生等来て、此辺を開穿し、士器等を発見せりと云ふ。 又其時近傍の石塚を発掘して石瓶、矢根石等を得たりと云ふ。
貝塚の東に「津」と称する処あり、土人は「ズ」と発音す、往古入江なりしと口碑に伝へられ(今も湿地及び沼地多し)此辺を称して渡戸と云ふ。 又御舟山と称するあり。 榛名明神、貝塚稲荷と舟に乗て此地に来りし説話あり。 貝塚の南、山室の地は原始人民の土室ありし処と称せらる。