北側にあり、古風の楼門あり、傍に大樅樹ありて天に冲せり、本堂も亦相応せり。 然れども楼門の方遙かに古色あり、楼上寛延四年の鐘をかく、此寺真言宗、報恩院末にして、水光山不動院と称す。 草創の年暦は詳ならざれど、過去帳中、法印賢憲天文十七年示寂と云ふもの見えたれば、天文以前の古寺なるを知る、中興開山宥勝、。 貞享二年寂す、風土記には大応寺塚の事を記せども、今は其跡だになし。