氷川神社
西光寺の西に位す。 村社也。
針ヶ谷は村の西南にして、曽て新坐郡舘村の地に属せし事ありしかど、柳瀬川より北を裂て別村とし、入間郡に編入せり。 其年代詳ならざれども、正保の改には此村名を載せず、元禄の改に至て、始て見えたれば舘村より割て此村の成立せしは、正保、元禄の間にあらん。 東西南北数町のみ。 小村也。 戸数五六十。
西光寺の西に位す。 村社也。
今無住同様にて、昔の面影なけれども、真言宗、大和田町普光明寺末にして、瑠璃光山観音寺と号せり。 正和二年の草創にして、開山長教は文保二年に寂せりと云ふ。 西光院より西南、断崖に沿ふて進めば、墓石数基存する処あり。 是れ阿弥陀堂の跡か。 更に進めば雑木の林中、一小古塚あり。 墳に立て南を眺むれば、柳瀬川流域の水田眼下に展開し、北足立、多摩両郡の地方をも望むを得。 松の疎林、軽風来て、籟声たえず。