次兵衛神社

村の南端、東京街道の西に当り、二丈許の塚上にあり。 石階あり、枯木あり、塚の周囲は雑木林也。 次兵衛即吉田氏、旧里正小峯氏に存する伝記によれば、江州の人、大阪方に与して戦功あり、後流浪して川越に来り、松平伊豆守信綱に仕へて、信任せられ、砂新田の地を給せらると。 蓋し其勇にして仁なる人格は村民の仰慕を深くし、身死して遂に塚を築き、社を設けらるゝに至りし也。 然るに伝説は此塚を解して頗る興味ある物語とせり。 其一を次兵衛榛名神社信仰の説となし、其一を次兵衛入寂の説となす。 要領左の如し。

次兵衛砂新田にあり。 之を久して子なし。 由て榛名神社に祈て一女子を得たり。 然れども此子神のもうし子なれば、六歳の頃去て神に帰せり。 此に於て次兵衛大に悲み、再び神に祈りしに僅に其姿を見るを得たり、三たび祈るに及で遂に龍となりてあらはれたりと此に於て次兵衛遂に此世を厭ひ、此地に穴を穿ち、中に入りて念仏すること七日にして定仏し、村民と予め約して塚を設けしむ。