宿の東南、原の平野区にあり。 境内狭けれども、老梅二四本、檜樅之に交はり、古色深き一小社也。 拝殿荒廃し、土地低平陰湿なるも、寧ろ周囲に適合せり。 拝殿の後、小丘の上一小石宮を置き、牛頭天王を祀れり、伝へ云ふ。 往昔此付近の地、之を所有するものに必ず災害あり。 之を以て人々相計り、遂に牛頭天王を此地に祭り、付近一帯を社領となせり。 其後戦争あり(年代は勿論茫漠)疫病流行して、戦士倒るゝもの多かりしかば、此社に祈願して、難を免るゝを得たりと。 抑ゝ此社何れの頃に設けられたるか、今知るに由なし。
今の社殿は元治慶応の頃造営せられしものと覚し。 社領も今や多くは共有地となり耕作に附せられ、区名を採て平野神社と名く。 但一般には尚「天王様」と称せらる。