八幡神社
村の中央より南に入ると二町、小丘の上にあり。 此村の鎮守也。
下赤坂は中福の東南に按続し、川越を去ると二里余、人家川越所沢街道の東に連ると、十二三町、其数七十戸内外と称す。 昔は武蔵野の原なりしを、万治三年下野国佐野の人石川采女と云ふ者、来て開墾を始めたりと云ふ。 然れども下赤坂の南方、上富下富に至るまて、二十町四方の原野は今も雑木繁茂し、土人之を呼て大野と云ひ、又大野ヶ原(おのぱら)と云ふ。 元一帯の芝地也。 然れども大野原を以て万葉に詠へる伊利痲治乃於保乃我波良に該当すとなすは、如何にや。
村の中央より南に入ると二町、小丘の上にあり。 此村の鎮守也。