村の西北、小字木の宮にあり。 臨済宗京都妙心寺派、東京本所中之郷松嶺寺に属す。 三富山と号す。 元禄九年丙子三月。 川越城主松平美濃守保明此地に一寺を創立し、勅諡慈照妙眼禅師洞天大和尚を請して開祖たらしむ。 美濃守の弟虎峯玄章禅師之に嗣て住持となり、寺領若干を附し、且年々米百俵を賜はり、宝永元年美濃守甲府に移るや、城主より臨時寺費を扶けらる。 慶応三年火災にかかり、士蔵鐘楼を残すのみにして、他は悉く焼失せり。 明治三年住職柳沢柳門庫裡を再興し、現住職柳沢玄加明治十六年十一月を以て本堂を再建せり。
従て寺観元禄の昔に比して、劣れると勿論なりと雖、山門の付近の頗る幽邃なる、本堂の華麗なる、泉地の閑雅なる、然り而して境内の広濶にして、樹木多き、蓋し郡内屈指の名刹と云ふべき也。