南入曽

南入曽は村の中央とも称すべく、不老川を以て、北入曽と戸数百二三十。

入間野神社

御岳堂と称する処にあり。 元御岳社ありて、社伝に天正六年四月の創立と称し、風土記に慶長二年十石の朱印を下賜せられ、古社にして近き頃まて文明二年庚寅三月惣旦那と鐫たる鰐口ありと記せしものこれ也。 明治四十年五月三日、同村の天神社、稲荷社、神明社を合し、四十四年水野浅間神社を合祀して入曽、入間、水野の各一字を撰て入間野神社と称す。 社地広濶、社殿堂々たり。

金剛院

入間野神社を去る二町弱、新義真言宗にして多摩郡成木村安楽寺末、御岳山延命寺と号す。 維新以前は御岳社の別当也。 寺伝によれば天文二年深悦沙門の創立にして、深悦永禄九年寂せりと云ふ。 其墓存す。 慶安二年十石の朱印を附せらたり。 明治三十八年火災に罹り、四脚門及土蔵を残して、余は皆焼失せり。 之を以て翌年仮本堂を立り。 境内に薬師堂あり。 或は曰く堂は院よりも古しと。

地厳堂

金剛院の後にあり。

堀兼井跡に就て

金剛院の後、竹林中に堀兼井跡あしりと称す。 今は全く弁ずベからずと雖、風土記にも出て、又一二の古書にも見えたり。