野々宮神社
中原にあり。 入間野神社の北、約一町余のみ、建仁二年の創立にして、天正二年及宝永三年の再建と称すれども、創立年代疑ふべし。 明治四十年部落内なる蔵王社、稲荷社、愛宕社、八雲社、神明社を合祀せり。 社殿新設に係り甚だ清潔、社地も狭からず、殆ど入間野神社と匹敵するに足る。
北入曽は村の西北部を占む。 不老川を以て南入曽と境せり。 戸数百余。
中原にあり。 入間野神社の北、約一町余のみ、建仁二年の創立にして、天正二年及宝永三年の再建と称すれども、創立年代疑ふべし。 明治四十年部落内なる蔵王社、稲荷社、愛宕社、八雲社、神明社を合祀せり。 社殿新設に係り甚だ清潔、社地も狭からず、殆ど入間野神社と匹敵するに足る。
不老川の北に沿へり。
観音堂の後に大なる円形の窪地あり。 深さ一丈余。 周囲十五六間もあるべし。 之れ螺状を為して水際に及べるものなりと云ふ。 土人或は之を以て堀兼井に擬せり。 堀兼井に関する詳説は堀兼村の条に出づ。