天神社
村の東部に位し、二軒家と称する処の西南にあり。周囲は田圃相連り、境内雑木に混ゆるに杉檜を以てす。樹木大ならずと雖、亦田間の一小区也。末社には神明、稲荷、熊野、氷川等あり。別に御獄祠をも設く。
古老の口碑に曰く、付近に清水湧出する所あり、天禄(円融天皇の御宇に当る)年代此処に水神を祭りしが、二百十余年を経て文治元年地異あり、祠宇破損せしかば、同三年修繕を加へ、且今の地に遷し、並びに菅公を祀りて、田中の天満宮と呼べりと。天禄文治の年代何によれるやを知らず、降て永禄五年社殿改築の事あり、寛文四年地頭羽田氏より下田六畝の寄進あり。天保年末再建の議あり、弘化元年に起工し、嘉永元年に成れり。水神の号夙に消失し、天満宮の名一般に行はれしが、明治二年天神社と改称し、五年村社に列せらる。四十一年村内の無格社全部を此地移転せり。