城墟にあり。元無格社にて愛宕神社と称せしが、四十一年十一月天神、熊野、八幡の三村社を此処に合祀し、城蹟に名をとりて城山神社と命名せり。合祀神社の中にて八幡社は本城の鬼門鎮守として、天正年間創立せし所にして、寛永十二年十二月四日地頭貴志氏の再建なりと梁簡に見えたり。
天神社は城内の鎮守として、設けられし処。愛宕社は天正十八年城陷り、住民復するに及び、後十数年を経て、本丸に建設せるものにして、武蔵野話に、神体は立烏帽子を冠むれる馬上の石像にて、丈一尺許、不調法の細工なれど古雅なり。城主太田下野守の像なりと云ふ。と記せるもの是也。又熊野神社は承暦の頃(白河天皇の御宇)の創立にて往古一村の鎮守なりしが、築城以後煙滅に帰せしを、慶長年間再興せしものなると、曰碑に存せり。社の傍に稲荷、御岳等の小祠あり。