亀谷神社
村の南にあり。永禄年間の創立なりと伝へ、明治初年までは亀谷稲荷大明神と称せしを、明治二年亀谷神社と改称し、五年村社に列せらる。
亀ヶ谷は本郷の北、坂之下の西に位し、万治二年開墾の地にして、元は亀久保村飛地の字名なりしと云ふ。慶応三年正月支配地となり、明治元年武蔵知県事に属し、以下前村に同じ、其地東西八町、南北四町余、人家三十五六戸、村役場は此処に設けられたり。
村の南にあり。永禄年間の創立なりと伝へ、明治初年までは亀谷稲荷大明神と称せしを、明治二年亀谷神社と改称し、五年村社に列せらる。
普門院は新義真言宗多摩郡成木村安楽寺末にして、亀谷山と号せしと云ふ。今其寺なし。其蹟も詳ならず。