此辺の名物たる甘薯に就ては既に世に著しと雖、其起原に関しては諸説あり。村内吉田氏淳造の家に伝はれる処によれば、寛延四年二人の男女薩摩より逃れて、此地に来り、篤き介抱を受けたる謝礼として甘薯を遺せりと云ふ。其説委曲に渡り頗る小説的興味多し。藍し甘薯起原の一説話として、無かるべからぎる所のものに属す。
富ぢやとうなす、永井ぢやさつま
日比田亀谷まくわうり……村内俗謠の一