所沢町より此村に入れば、約二三町にして、道の左側に神社あり、熊野祠と云ふ。境内広く、老杉あり、社殿清素也。二三の末社あり。入口の石華表、眼に着き易し。傍に華表建設の小碑あり。当村の人鈴木源一氏の選文にして、三たび華表を起てたる由来を明にせり。境内に竹山石、花剛石両華表の残骸尚横はれるを見る。武蔵野話によれば、「熊野祠権現の叢祠あり。何れの比祀りしや詳ならず。神職三上氏世々之を守れり其墓に石碑あり。中間より折れたり。三十年前野老沢村の畑より穿出したるを三上氏、自己の墓地へ移置けり。青石にて三体仙人を書き、後面には文明十七天乙巳十一月十六日結衆敬白と記し、左右に氏名を列記せり。此村三上倉片の氏を古しとなす」と。是れ文化年代の見聞なるべし。