氏照院

青霄山と号す。本尊は薬師にて北条氏照の守本尊たりし像を腹籠りとして造立せしとやら。位牌あり。青霄院殿透岳関公大居士、慈雲院殿勝巌傑公大居士、その中央に天正十八年七月六日と記せり。此寺氏照歿して其近臣等遺骨を葬り、一寺となし、氏照の諱字と院号を取て名けたりと云ふ。慈雲院は氏照の兄左京大夫氏政の諡也。然れども小田原記天正十八年七月十一日の条に北条氏政今年五十三歳従四位下左京大夫平朝臣截流軒と号す、氏照陸奥守従四位下平朝臣心源院と号す、兄弟自害し給ふ云々とあり。又多摩郡由木永林寺の伝には骨は彼の寺に葬ると称し、又元八王子宗関寺にも氏照の墓と称するものあり。何れも追福のために修せしものなれば何れが実の葬所なるを知らず。氏照院は廃寺となれり。