上新井河原宿にあり、遊石山観音院と号す、新義真言宗也、寺の由来に曰く、昔右大将頼朝奈須野狩に打立ち給へる時、此辺を歴経せられ此処にて昼餉を行はる、其仮の小屋を建つぎ、田地を寄進して観音を安置せしが其後戦場となり、寄田を掠奪せられしを元弘建武の乱に新田左中将義貞、此寺に至り再び寺田を寄附せりと荒唐也。廻国雑記に福泉といへる山伏、観音寺にてとあれば文明の頃は既に一寺たりしならん。其後中絶し数十年を経て中興せる時の開山賢能、天正七年示寂せり其後弘化二年回禄に罹り、今に至るまで仮堂を建つるのみ。