八国山より西約二三町に位す。丘に拠りて境内広潤、老松多く、楢杉等の諸木之に交はり、遠景近態頗る高雅を極む。宮の入口、華表前、鐘ありかゝる。是れ丘下仏眼寺所属のもの也。銘に曰く。
入東郡久米村玉禅山仏眼寺者延暦二十一年壬午六月上棟開山良秀也。鳩峯八幡者延久庚〇従石清水写之。建仁度頼家公賜寺賜
元弘三源義貞祈戦得利、末社者冑挂松鐙稲荷等也。云々。
と。是れ寛永十七年庚辰九月の撰文也。然ども祠官の語る所によれば口碑は稍々此銘文と異なると云ふ。其要によれば
延喜二十一辛己年山城男山鳩峯に鎮坐ある八幡を分祀す。因て此地をも鳩峯と写すと云ひ伝ふ。元弘三(正慶二年)新田義貞八国山に陣し、此宮に参拝して戦勝を祈る、冑を取て掛けし所、今の冑掛の松なり。此松元和二年に枯死し、現存のものは第二代なり。周囲八尺余。尚其時義貞が鐙を置きし跡は今の鐙神社なり云々。
と。社に貞永 辰 月 日とかすかに見ゆる棟礼あり。又慶長十三年再営の棟礼ありと云ふ。風土記は元弘三年の鎮坐と記せり。要するに鎌倉時代の創立なるべし。神体木像二体、頗る古風也。伝説によれば尚一体ありしを、久米六右衛門なるもの携えて、児玉郡八幡山町に去り、其地に鎮坐勘請せりと、果して然るや否やを知らず。八幡山八幡神社は壮麗なる神社也。