今多摩郡東村山村野口徳蔵寺(八国山より七八町)に存する元弘戦死者の碑は元八国山南麓に出でたる長三尺五寸、巾一尺五寸の板碑にして、
飽間斉藤三郎藤原盛貞生年廿六
於武州府中五月十五日令打死
元弘三咢中五月十五日 敬白
同孫七家行二十三才同死飽間孫三郎
憲長三十五才於相州村岡十八日打死
と刻せり。是れ元弘三年五月の役を語るべき最も重要なる史料也。風土記によれば碑は長久寺の僧に請て造りしものなりと記され、野話演路等は直に碑の長久寺にありしが如くに記せり。然るに徳蔵寺側の説によれば、八国山南麓に小堂あり。徳蔵寺末也。碑は畑より出でゝ、其堂側に置かれ、堂の廃するに及て、移したるなりと。出処は兎まれ。碑は甚だ大切也。