永源寺

西北に位し、曹洞の古刹にして、龍谷龍穏寺に属す。風土記によれば、「開山は一種長純和尚にて永禄八年二月二十七日寂す。然れども是れ曹洞派となりし開祖にて、寺の起立は多摩郡由木永林寺と同じと云ふ。此寺応永年中の鐘あり。思ふに尚古き開創なるベし。開基大石氏の位牌を安置す。正面に開基英嵒道俊大居士とあるは瀧山城主大石遠江守守久の法名にして、左右に秀岳宗關大居士、直山道守坐主とあるは共に大石氏の法名にて、宗關は陸奥守氏照、道守は遠江守信重也。鐘は客殿にあり。銘に曰く

武州入東郡久米郷大龍山永源禅寺住持雪心叟融立本願檀那大石遠江入道

応永廿九年壬寅九月初吉日 直山 道守

と。此鐘十余年前まで存せり、今往く所を知らず、其他古記の徴すべきものなし。唯一の古墓石あり。墓石の一部は確に補添せるものたると疑ふまてもなし。文字三行に刻す。

直山守公菴主

正長二祀○

廿八日己刻

と。此墓或は徳川時代に設けしやも計られず。然れども案するに此寺直山道守座主(信重)が全くの開基なるが如く、守久氏照の位牌は是れ由木永井寺のを持来て合本寺として、祀れるものゝ如し。故に開山一種長純和尚の如き木像も、墓も皆由木にあり。

此寺徳川時代一たび火災にかゝり、今は荒廃、甚しく、山門と寺堂を存するのみ。麦秀の嘆を発せしむ。堂に向て左方、弁天祠あり、池あり之を囲む、雑草其周延を囲み、池水幽濁也。