荒幡富士
荒幡富士は村の南方狭山の上に立ち、高き五六丈、其底部にありては四方十間もあるべきか、明治十四年より始め、三十年に至て落成せり。山下に浅間祠あり。山上に起て眺むれば、遠近の丘上、起伏連亘一目の中にあり。富士山西南にあらはれ、秩父山西に聳ゆ。武蔵の平野は東方に展開し、南は八王子付近まで双眸の中にあり。狭下の雑木は春緑に秋紅に、之に交ゆるに松杉を以てす。風景殊に佳也。
荒畑は村の西部に位す。説話に曰く、昔一流の幡飛来れるを以て荒幡と名けたりと。但村名は荒畑とも書せしとあるを如何せん。戸数百三十。
荒幡富士は村の南方狭山の上に立ち、高き五六丈、其底部にありては四方十間もあるべきか、明治十四年より始め、三十年に至て落成せり。山下に浅間祠あり。山上に起て眺むれば、遠近の丘上、起伏連亘一目の中にあり。富士山西南にあらはれ、秩父山西に聳ゆ。武蔵の平野は東方に展開し、南は八王子付近まで双眸の中にあり。狭下の雑木は春緑に秋紅に、之に交ゆるに松杉を以てす。風景殊に佳也。
富士山下に堂を設けたれど、山そのものが即ち浅間の本体也。社は元此処にあらず。本覚院の別当なりしが、明治五年村社となる。明治十四年今の処に移り、且氏子持久の策を講じて、三十年遂に富士山を築き終るや、村内二十四の小社を合し、尊崇の実を挙ぐ。
富士山の北にあり。月桂山喜福寺と称す。開山賢慶元和六年寂せり。