中氷川神社

氷川にあり。中古兵灰に罹り、社殿烏有となりしかば、徴すべき憑拠なけれど、式内社なることは口碑に伝へたり、或は曰く此社、大宮町一宮氷川と多摩郡柏ノ保郷氷川との中間に位し、何れに赴くも里程八里あり、依て中氷川と称すと。信ずべからず。社に天正十八年禁制書、元亀三年山口平四郎資信奉納の表具一軸あり。又付近に出でし、布目瓦、土器、石簇、石斧、石剣の類を蔵せり。元禄二年社殿造営、明治五年郷社となり、四十年村社一、無格社九を合す。四十一年指定村社たり。神職山口氏、即ち元の普賢院也。然るに野話によれば氷川社は昔は氷川村の農民粕谷氏の持ちなりしを農隙乏しきにより享保の初頃より普賢院別当たるに至れりと云ふ。