堀内にあり。天光山無量寿院と号す。曹洞宗にて多摩郡二又尾海禅寺末、開山栄芝順富、天正十年六月寂す。本尊阿弥陀如来の縁起に至ては、奥州藤原秀衡の守本尊を鎌倉へ運ばんとして、車輪中途にして進まず、仏意に従て遂に此地に止まるに至りし旨を仔細に記せり。元の寺地は今は小学校となれり、為に堂は後方に退て、殆ど民家の観を呈せり。庭前建長八年辰二月廿三日と記せる板碑あり。