堀之内に近く青梅街道の南に沿へり元長宮明神と称したりしが、祭神の氷川神社に同じきと長宮の中宮に転じたるものゝ如きと、彼の正長の棟札に中氷川社造営とあるによりて中氷川社と称するに至れり。社殿壮大ならずと雖も、頗る古雅也。境内広大ならずと雖も、頗る幽静也。神槻周囲三丈にも近からん。既に半朽ちたり。社に応仁二年の日本記写本三十巻を蔵す。甚が破損せりと云ふ。