南中野にあり。山際に接せり。元寄木明神と称し、村人は今も「ヨタヰ」様と呼べり。然るに例令焼失数回なりしと雖、社の体裁の古色深き、祭神の素盞烏尊なる等は延喜式神名帳に出でたる出雲伊波比神社ならんとの説出て、近年毛呂村飛来明神と共に出雲伊波比神社と称するに至れり。社地は高台にして、老樹あり。境内幽雅也。社殿も文化、文政の頃までは、本社、幣殿、拝殿、頗る整然たるものなりしが如し。社に弘治三年小田原北条よりの棟別朱印達の文書ありと云ふ。又石剱及御シヤク神三本ありと云ふ。村の鎮守也。社後に有名なる茶場の碑あり。