北中野にあり、浄悦山涼光院と号し、真言、真福寺末にして、中興頼喜、正徳年代の人と伝ふれども、安政三年及明治二十二年焼失して、今殿堂の跡なく、僅に馬鳴(めめう)堂を存す。俗呼てミンメウ様と称し、養蚕の守護神なりと云ふ。神体は馬上の像、土屋氏が奈良より持ち来りし処と称す。例祭三月十九日とす。堂の東に土屋氏の墓地あり。大石塔七基、小石塔三基、麥秀の中に立ち、人をしてそゞろに古を忍ばしむ。明治四十二年地福寺と合す。又北中野には古小御堂ありしが廃絶の後其地に地蔵堂を建て、長久寺に附属せしめしも、今其跡なく、僅かに残りし小御堂の小名さへ消失するに至れり。