長福寺

野話に曰く、「太子堂を守りし寺は臨済にて、長福寺と云ふ。開山は桃源宗悟にて永徳二年九月四日示寂、其後寛文九年二本木へ移す。其の時の住僧は關宗玄脱なりと、今寺分と云ふ畑は長福寺の跡なる由。天文二年二月吉日と記し、三体の仏像を描ける石碑此寺境内にあり。又五輪の台石あり。平氏長尾藤四郎とあれど年代知れず」と。長福寺今は長久寺に合せり。