塚場
一丈五尺許の塚にして、新田義宗の陣地と称す。未だ遽に首肯すべからず。
一丈五尺許の塚にして、新田義宗の陣地と称す。未だ遽に首肯すべからず。
西勝院付近にして、土手東西五十八間、南北一町二十六間、高き処は一丈二尺、堀深き処は一丈ありと云ふ。加納下野守の築きし処にして、其初は宮寺家平の居住したる処なりと云ふ。加納氏は元弘、正平の間、常に新田氏の下にありて戦功ありしと云ふ。
伊波比神社後方にあり。小碑二基、一は重闢茶場碑記、(林輝の撰)、一は重建狭山茶場碑記(中村正直撰)也。蓋し茶は僧栄西が建久二年入宋して、貰し帰りたりと称す。之を全国五所に植え、狭山其一に居る。と云ふ。然れども里人は茶樹を以て野生に起りしものなるかの如く信ぜり。
宇治の新茶と狭山の古茶と出合ひましたよ横浜で……。村内俗謠の一、
居ねむり初めた狭山の茶をばゆすり起すは我役目…。村内俗謠の一、