禹余糧(うよりょう) 街道旧蹟考に曰く、花木村の後の山より禹余糧を出す。土人は団子岩と云ふ。禹余糧なることを知らず。此辺の山は赤土山にて岩石等はなし。其色白く赤く、中に飴の如きものあり。故に団子岩と名けしならん。皆丸くして大小あり。拾ひ盡せしにや此頃は出てずと云ふ。と。禹余糧は子持石とも称し、薬に用ゐられし也。