高養寺

裏山にあり。寺岳山と号し、中古龍岳山と改めたりと云ふ。伝へ言ふ。寺竹は山腹の地に位するを以て、水の欠乏を患ふ。之を以て山号を龍岳と改めしに、泉湧出し爾来涸渇することなしと。蓋し土地開拓の面影を忍ぶべき一説話也。寺は瑞泉院に属す。開山天室徳源、永禄元年寂す。開基金子筑後守家定天正十五年卒す。法名高養院殿月峯常円居士。