赤城神社
笹山にあり、村社也。
木蓮寺は南峯の西に連り、村の最西端也。村名は瑞泉院より起れるが如し。戸数一百。
笹山にあり、村社也。
曹洞宗也。初臨済なりしと云ふ。甲州永昌院末、金子家忠の開基と称せられ、家忠建保四年二月卒す。法溢瑞泉院雄翁道英と云ふ。家忠の妻畠山氏家忠に先ち建仁元年三月没す。法溢木蓮院標室奇榜と云ふ。寺内に金子氏の墓石あり。五輪塔六基。文字何れも不明、唯其稍新しきものに無外妙相大姉□月十三日と見ゆるのみ。寺は数回火災にかゝり、今は仮本堂及仮鐘楼あるのみ。山間の幽谷にして、地勢来迫し、寺域として雄大なるの威あり。成は此後家忠等の住せしにや。唯併しながら、街道旧蹟考に家忠近範の旧蹟は村民にきけど知らず。瑞泉寺に霊碑あり。香華院と云へど石塔も墳墓もなしとあるは注意すべし。
瑞泉院の南一町許、高台の上にして、今樺氏の住する処也。村民此地を以て家忠の舘跡なりと云ふものあり。
瑞泉院の西に位す。塩船寺末也。今は廃寺たれども、其地頗る寺地たりしの観を残せり。