蓮華院

後(うしろ)にあり。世音山妙知寺と称す。高麗村聖天院末也。開山寂蓮年代不詳中興覚常、万治元年寂す。此時堂閣一宇を造る。貞享四年村内より鐘を寄進す。明治三十三年火災に罹り本堂庫裡を焼失す。三十五年再営す。本堂の北に観音堂あり。堂宇見るべし。然れども永禄以前は更に壮大なりしと云ふ。奉施武州比企郡千手堂鰐口大工越松本、寛正二年辛巳十月十七日願主釜形四郎五郎と刻せる鰐口を蔵せり。如何にして此処に来りしにや。境内広闊也。