大将軍又は大将陣

風土記に、大将軍、南の方扇町屋堺にあり。古大将の陣取りし処なりと云ふのみにて其名を伝へず。按ずるに元弘三年新田義貞鎌倉攻の時、入間川に陣す。又文和二年源基氏入間川に下向の事もあれば是等の時の事にや。前の上下小屋と云ふも同時の名残なるべし。と。今豊岡町の人に就て問ふに或は大将軍は無けれども扇町屋に近き高台の陸田に大将陣ありと云ふ。思ふに大将陣は大将軍を転訛せしめたるものにや。若くは大将軍が誤にして遠き古より大将陣として伝はり来れりとすれば、之れ川越仙波に於ける「南畑陣」と同じく、必ずや意味ある地名ならずんばあらず。然るに若し大将軍なりしとすれば、此に以て義貞若くは基氏等武将の陣地と認むるは早計なるやの威あり。

蓋し大将軍は小祠として古来僻地にも存したりし実例あり。又大将軍社には敷地のみありて社なきもありと云ふ。其依て出てたる原由に至ては恐らく陰陽道に基くものなるべしと雖、要するに八王子、若王子等と同一類也。大将軍と称するが如きを以て忽ち将軍陣地と為すベからず。今後の吟味を要すべし。