金比羅坂
明治十六年近衛師団演習の際、明治天皇陛下龍顔麗はしく此坂路を通過せさせ給ふ。碑あり当時の詳細を叙せり。
明治十六年近衛師団演習の際、明治天皇陛下龍顔麗はしく此坂路を通過せさせ給ふ。碑あり当時の詳細を叙せり。
村社也。日本武尊東征の時勧請すと云ふ。後元弘三年新田義貞再興すと、什器には刀一口(長二尺三寸八分)、石剣一口(長二尺三寸余)、宝器一面、神酒鈴一対、古鐙但甲のみ一個、幟二流、鈴一個、龍頭三個。
創立年月不詳、初め熊野社の境内にありしを天保七年移転再興せり。
新義派真言にて、中本山安楽寺末也。天保六年火災にかゝり、古記を失せり、口碑によれば年月不詳、僧斉範(何れの人か不明)当寺を創立して開祖たりと、然らん、元和甲申年七月十七日入寂の記今猶存す。本堂の外薬師堂、不動堂あり、小学校は不動院を使用せり。