柏原新田

柏原新田は村の西部に当り、入間川を隔てゝ、対岸の柏原村と呼応せり。寛永の頃柏原の農民五郎右衛門と云ふもの此地を開発せるを以て名く。人家二十内外、開発の始は堀田加賀守に属し、次で松平伊豆守、松平美濃守、秋元但馬守に属し(川越城付)たりしが、其後支配地となり。安永九年長野佐衛門の采地となり、維新以来の変遷下奥富に同じ。

村内に存せし八雲神社は下奥富亀井神社に合祀し、又寺堂り如きも、何れも柏原村に檀那寺を有するを以て村内に其設なし。