山城

山城は殆ど村の中央に位す。東西三町、南北五町人戸四十、里伝に曰く、天正十八年鉢形城の陥るや、北条氏邦の臣三上山城守逃れて、比企郡日影村に赴き、東光寺に於て文禄二年卒せり。其子も山城と云ふ。入間郡に来て亀窪村を拓殖し、其後此地を開墾し、己が名を負せて村名とせりと。故に慶安の頃迄は山城新田と呼べり。天正十八年以後支配地なりしが、寛永十六年川越領となり、次いで采地となる。

八坂神社

南部にあり。勧請年紀不明、傍の瑠璃堂には薬師の尊体を安置せり。