大袋

大袋は山城の北に当り、東西六町、南北四町、戸数百、古は新田の峡下まで入間川流れて、其様袋の如くなりしかば、大袋の名を生じたりといふ。北条役帳に新藤下総守知行を記せるの外風土記に載せたる村民弥兵衛の古文書によれば山田庄河越三十三郷の内大袋とあり。天正十八年川越領となり、宝永元年より支配地となる。

白髭神社

中央にあり。指定村社なり。永禄年中勧請する所なりと云ふ。本社及拝殿あり、傍に稲荷の小社あり。境内老杉多く、四時蓊鬱たり。近時又桜を植たり。又社前に設けたる土俵は有名なり。

東陽寺

曹洞宗多摩郡平井村宝光寺末、孤峯山と号す。開山は明鑑にして永禄十一年正月示寂、当時は本堂、方丈、客殿、山門、禅閨、鐘楼等あり、厳然たる大刹なりしに、再度の火災を経て、(天保三年及明治十五年)僅に山門のみを留むるに過ぎざるに至れり。之を以て明治二十八年二十二世住依元宏菴再興の工を成せりと雖、之を旧観に比すれば劣れると又止むるを得ざる也。山門の傍老松あり。山内閑静也。 (尚堀兼村東三ッ木の条参照)