其祖長島民部左衡門信興に関する伝説によれば享徳元年甲府に生れ壮なるに及で、武田家に事へ、天正年中武田家亡び流浪し、由緒ありて勢州長島に住み、長島伊勢守と改め、北条氏直に召され、事へて、朱印感状を賜りたり。 後氏直、川越城入の時、供奉し、住宅を増形村に構へ、此処に住せり。 天正十七年没す。(年六十二)と長島氏の現主を酉太郎と云ふ。 其母の秘蔵せる古文書は北条氏の御触書にして、風土記にも引用せり。