鎌倉古道
今より百年前まで、村の西端に少しく道の蹟を存せしも、其後畑となりて、其蹟を尋ぬるに由なし。
大袋新田は山城の東にあり。東西十七八町、南北四五町、慶長年間北条氏の遺臣横山次左衛門の開墾にして、始大袋村に属せるを以て大袋新田と云ふ。天正十八年以降代々川越領たり。
今より百年前まで、村の西端に少しく道の蹟を存せしも、其後畑となりて、其蹟を尋ぬるに由なし。
勧請年代不明なり。
字原新田にあり。勧請年代不明。社殿は近年の建築なり。社前桜樹あり。社後喬木あり。又小観也。社側に長杉天に冲せり。
曹洞宗、東陽寺末、宝林山と号す。開山鑑応、元和八年寂、明治十二年祝融にかゝり、十四年に至り、廿一世住長谷喚応、再興の功を奏せり。