上広瀬の中央、県道の傍にあり。上下両村の鎮守にして、県社也。文政六年火災に遭ひ、宝物古記を焼失せりと雖、古老の口碑に日本武尊東征の際、此地の大和国広瀬の地と似たるを以て社殿を設け給へりと伝へ、式内社にして嘉祥三年官社に列せられしことは古史に明也。今の社殿は四十二年の落成にして、境内に旧社殿をも存す。老木数章、境内広濶、末社に八幡稲荷神明あり。又物産碑あり。埼玉県令白根多助翁の詠める歌を記せり
なゝこれり広瀬の浪はあやなりを堂川越の名に詠しけん
社は従来白髭明神と称せられき。