禅龍寺

曹洞宗永平寺末にして、万寿山と号す。万寿年間の設立にして、開基は玉岫?(りん・玉編に米と舛)公和向なりと云ふ。山号によりて年代を附会せし也。又、往古尼寺たり、鎌倉全盛の頃は千石を領し、松ヶ岡の尼寺は当山より移せしものなりと云ふ。然るに鐘銘によれば、明応年間玉岫?公尼和尚初開基於斯、乃天正元癸酉年萱尻而瑞泉五技華厳文説和尚為転法輪之道場也云々とあり。従ふべきに似たり。文説は中興開山也。境内南方に観音の堂あり。