野田村開発の伝説

里伝によれば、此村昔時茫々たる曠原なりしを.武蔵七党の中、小野姓野田某なるもの来て開拓に従事し、入間川に沿ひて人家散在したりしが、未だ部落を成すに至らずして野田氏は此の地を去れり、然れども人皆野田氏の創業を欽慕して村名となすと、其後降て天文永禄の頃、西久保、新井、高杉、小林、畑、横田、清水、等の諸氏協同して道路を開き溝粱を穿ち、田畑を作り爾来人口漸く増加して、遂に今日に至る、故に村民は之を村の草切七家と称し、その子孫を以て従前の村吏に推せり。