高正寺

村の中央部に位し、曹洞宗金子村瑞泉院の末にして、諏訪山万齡(?)院と号す、建保年間、村上党の金子六郎家範、同十郎家忠の弟余一親範の創立也、始万齡院と称し、密宗の道場なりしが、大永の頃、親範の遺族、万齡院の旧跡を再興し、瑞泉院二世菊陰瑞潭禅師を以て中興となす、依て曹洞に入る、寺に金子氏の系図あり、墓地に「秋翁山公和尚宝徳二二年」及「観応二年」と刻せらる大板碑あり、寺は元現境内の東南広町と称する所より移せるものにして、恰も大永元年中興の際に当ると云ふ。大永二年十二世高岸和尚、開山二百五十回忌を以て山門鐘楼を造る。今存する所のもの是也、楼上に宝暦十年の鐘を掲げたり、宝蔵衆寮等は、維新の際取去りたりと雖、本堂清浄、楼門奇古、境内の風致甚だ佳也。小池あり、厳島祠を祭る、後方の丘上眺望頗る宜し。